旬のはなし

千葉県で研究やってます。もうすぐアラサー

選択の継続と放棄

日々は進む。仕事も進むが、先は毎日見えない。

自分の思っていることは間違いではないことがわかったものの、確信は薄く、正解は見えない。

新製品を一個担当したこと、インドに行ったこと、メンターをやったこと。毎年一つづつ糧になっている感覚はある。

それは自分を育ててくれた人がいて、応援してくれた人がいたから。
みんながずっといるわけではない。別れも多くある。

別れは悲しいが、また僕は独り立ちしなければならない。その人の手を借り、背中を押され、誘導してもらっていた日々はもう決してこない。自分で道を照らし、歩まなければならない。


僕にとって大切な人はいっぱいいるが、その人との別れもあるのだろう。仕事にしてもプライベートにしても。
止まない雨はないが、航海が終わることは一生ないのだ。嵐の中でも、どっちに進むのか、一旦泊まるのか、僕は常に選択しなければいけないのだ。

誰かに、何かに強いられるのではなく、僕が選択をすることを止めてはいけない。
と言いつつ、周囲に選択を放り投げているものも多いだろう。全部選択するのは無理だ。放り投げている状態を変えるのがまず必要なのだろうか。

Fire Sprout


自分の周りは置かれた場所で花を咲かせているけれど、
彼らから敬意と友情をもらっているけれど、
僕の花はここでは咲かないだろう。

それがわかってしまった。いや、ずっと知っていた。ある程度の評価を受けているから、こんなに心地のいい場所は初めてだったから、見て見ぬ振りをしてしまった。


ずっと同じことを繰り返して、場所を探している。
僕の水平線はどこなのか。
本当は知っているくせに。

そこに行く道は一つのはずなのに、
そこに踏み出せない自分が恨めしい。

生き残れる自信がないのか。
帰れる保証がない片道切符が不安なのか。


ここで生き残ることになんの価値がある。
客観的に価値はあるかもしれないけど、
それは毎年貰えるお年玉程度の価値しかない。


往復切符になんの価値がある。
そんなもの、誰かから与えられるものでしかない。
本当に俺がほしいのは、自分で掴み取った2回の片道切符だろう。



僕にとって3年という時間は必要だった。
4年という時間は持て余した。
5年なんて待てなかった。

タイミングはわからない。
けれど、マッチは擦って待っている。

天命に委ね、僕は僕の道を歩む

三年たった

社会人になって三年がたった。

三年が節目、とはよく言ったものだと思う。
確かに、「お、俺もなんか仕事できるかも?」と思ったのは今年だし、楽しみが見出だせてきた。

辞めていく友人も多い。悲しさはあるけれど、違う茨の道だったことを思うと、自分は恵まれていたのだな、と実感する。妻も転職したことを考えると、新しい道を選ぶことは全くもって正しいことだ。

結婚し、色々な考えに触れた。というか、人と本気で向き合い、色々なことに気づいた、というのが正しい。


でも、根幹はやはり変わらない。
人、社会にとって善となるように、人類が前に進めるような働きがしたいという思い。
自分のこんなエゴを社会に突き通すのは、難しいし、とても儚い。
僕は目の前の幸せを守ることで精一杯だ。

だからこそ。
未だ僕は前に進むしかない。嫌なもの、邪魔なものには目もくれず、僕は僕のまま新しい世界を選び続けるしかないのだろう(これは三年前の自分にはなかった考え方だ)。

それが哀しいことなのか、満足のいくものなのかは、今の僕にはわからない。
たぶん、15年後、40歳を過ぎた僕にしか見えないのだろう。


また春が来る。
でも、僕は僕のやれることを、自分自身の力でやっていく。そんな自分でいられることに、感謝しつつ歩んでいこう。

壬生義士伝

壬生義士伝、小説と映画を読んだ


自分が悩んでいることと吉村貫一郎の直面したものとを重ね合わせてしまい、泣きそうになりながら読んでいた。
一番泣けたのは嘉一郎の最後の独白のシーンだ。(通勤中のバスの中だったからグッと堪えたが。)こんなに愛おしく虚しい気持ちになったことはほとんどなかった。

映画は圧縮されてしまってイマイチだった。上下巻になっているものを二時間の映像に縮めてしまうのは無理があった。あの小説の描き方だからこそ吉村貫一郎の独白に大きな意味があったけど、映画の長いシーンはいただけない。中井貴一の無駄遣いとも思える。

小説から読んで、見たかったら映画を観ることを勧めたい。


さて、二週間近くずっとグルグルしているので、書き出してしまいたい。

貫一郎は「武士」であったと色々な登場人物に言われている。
この小説で出てくる語り手のほとんどは、元南部藩士か元新撰組隊士である。つまり、この小説の語り手は「武士」からの目線がほとんどなのだ。そんな武士だった彼らに「武士」と評されるのは素晴らしいことであるし、彼こそ「武士」に相応しくなかったら生き延びて欲しいと皆から思われるのは、とても素晴らしいと思う。

武士ではない目線から語っていたのは、千秋、佐助くらいだと思う。(うる覚えだが)
そして、貫一郎の独白をみると、驚くほど「武士らしくない」、と僕は思った。死にたくない、家族に会いたいとばかり考え、迷惑がかかるとわかっていながら南部藩の邸宅に逃げ込んでくる。

この作品で描かれた「吉村貫一郎」はほとんどが創作である。本物の吉村貫一郎はここまで貧困にあえいでなかったようだし、年齢も違うし妻子の有無もわからない。作品上重要な役回りの大野次郎右衛門も架空の人物だ。
でも、この創作の吉村貫一郎は武士でありたかったのか、父親でありたかったのか、どちらなのだろうか。僕はずっと考えてしまう。


父親でありたかったのなら、鳥羽伏見の戦いの前に逃げればよかった。御一新まで潜めていれば、家族に会えたかもしれない。
武士でいたかったのなら、潔く切腹するか、討ち死にするか、闘い続ければよかった。


彼は矛盾の塊だった。
武士でありながら、家族を主君とし
生きるために、人を殺し
故郷を捨てたのに、故郷に愛を持ち
武士に未来がないことを悟りつつ、武士であり続けた。

僕は彼の様に生きたい。矛盾に押しつぶされず、無念の死であっても人生でたぶん一番大切なものを彼は選び続けて、歪んでもそれでも真っ直ぐだった。

けれど、彼は幸せな人生だったのかは、それはわからない。

僕は天命を待つべきなのか、道を選ぶべきなのか。
そろそろ自分の欲とベクトルで、何かを選び、何かを捨てる覚悟を持つ必要があるのかもしれない。

 

 

社会人になりました

社会人になりました。今は大阪で研修をしています。

大学をあっという間に卒業してしまった気がする。気がする、というのは、振り返ると大事な友人たちがこの6年でできたと思うから。

でもだからと言って、今の環境には不満はない。
自分がスロースターターなのはわかっている。だから自分のペースと理想のペースの両方を意識して、理想のペースに遅れをとらないように気をつけている。

やっぱり周りのレベルは高いし、人間としても自分が見えていなかった世界はあまりに広い。

今日は社会人になってから初めての休日。時間をどう使おうかまだ決めていないけど、今日は客観的な理想に無理に合わせず、自分が本当にやりたいことをやりたいと思う。


社会人が難しいな、と思うのは、プライベートの都合と仕事の準備の都合とをすり合わせる必要があるから。朝起きること。朝食を食べるようになったこと。日中寝ないこと。次の日の準備をすること。当たり前のことができていない。

でも、まず大切なのは、どう在りたいか。

「君の名は。」気になった点?

こんにちは

君の名は。バカ売れです。


君の名は。」が興行収入100億円突破、アニメ映画としては宮崎駿監督作品以外で初
http://gigazine.net/news/20160923-kiminonaha-ten-billion-yen/


僕は先月見に行きました。秒速5cm好きとしては見ないわけにはいかず…
もう最高でした。最高。


アニメ映画としてはぼくは最高に感動した。(ちなみに僕が一番泣いたのはClannad Afterでした。今でも久しぶりに見て泣きそうになります。)


日常の中に埋もれてた美しい景色

主人公二人の離別

そして【彗星】という美しくないはずがないテーマ(正確には○石ですが…)

 

この三つはほぼ秒速5cmと…というかこれまでの新海誠の作品ほぼ全てに共通しています。


それが、ここまでの完成度。ナイスマッチング。


僕は東京出身なので、新海誠「日常の中に埋もれてた美しい景色」の描写が大好きです。


それは今回、最大級の形とタイミングで僕に帰ってきました。

 


そして、今日。
二回目を観に行きました。
相変わらず、最高でした。

 

そして、やはり2回目だと、色々なことに気づきました。

他のサイトでは考察されていないことを、適当に書き連ねます。
個人的事情による感動もあるので、そこはまあご愛嬌にしてください。
もろネタバレなので、観てない人は読まないで下さい。

 

 

①一番最初に入れ替わった時期は?
冒頭のシーンで、瀧が三葉に入れ替わったシーンから始まる。裸を見て叫んだシーンの次は、もう翌日の普通の三葉のシーンである。
そしてそのまま三葉の話が続き、そしてある日、三葉は瀧の体に入ってしまう。驚き、戸惑い。慌てつつも東京での生活を楽しむ。

ちょっと待ってこれはおかしくないか。

この映画の入れ替わりのルールとして、「入れ替わった日には瀧・三葉のお互いの体が入れ替わっている」ことになるのである。

つまり、少なくとも映画で三葉が瀧の体に入ってしまったシーンは、少なくとも入れ替わりが既に一回以上は行われた後なのである。
普通だったらあんなには慌てないだろう。男の体にも驚きは少ないはずだ。トイレくらいは行っただろう。

ここでこの矛盾の解決策として二つ思いついた

・一回目の入れ替わりの記憶がない
劇中、「入れ替わりの記憶はすぐ忘れてしまう」という話があった。これに則れば、三葉は一回目の入れ替わりでの出来事を忘れてしまったのだろうと推測できる。
しかし、周囲の環境はそれを物語っていない。
瀧の友人、司たちは「昨日のお前はおかしかった」と言っている。逆に言えばそれまでは普通だったということではないのか?(もし二回目なら「またか」という言い方をしているのでは?)
休みの日で一日中籠ってたのだろうか…そこまで推測して初めてつじつまが合うのか??

・劇中の時間軸が戻っている
実は三葉が瀧の体で東京ライフを送っていたシーンは一回目だったのでは…(つまり途中から回想になっていた?)とも思ったが…
これは違った。三葉が瀧の体に「みつは」と書くシーンがあるので、これは間違いなく二回目以上の入れ替わり。時間軸は正常である。


②同じシーンが多くない?
RADのPVだとよく言われるこの映画だが…まあそもそも秒速だってone more time, one more chanceのPVだ。まあ致し方なかろう。

だが、いくら何でも使いまわしのPVが多い。
見ればみんなもわかります。
大して感動しないシーンを使いまわさないでほしい。新しいカットを盛り込んでくれよ。


③なんで山手線?総武線?というか最寄駅は?
都民として思ったことです。

東京で生活している人…特に新宿四谷付近で生活している人にとっては、実はJRはそんなに利用しない。通勤通学で必要なら使う程度のものである。
普通は、山手線の内側ではみんな地下鉄を使うよ…言の葉の庭みたいに。

そして瀧はなぜ中学生だったのに、電車の中で単語帳を見ていたのか…受験生?塾帰り?

まあ…あえてJRにした理由は、間違いなく「車中から人を探している」様子を映し出すためだろう。


…地下鉄よりはJRのほうが僕はなじみ深いから、いいんだけどね!

四谷の直前のトンネルの中で大きく揺れて、瀧と三葉が触れ合うシーンは、「おおーっ」とおもいました。あのトンネルはえらく揺れるんですよ…


④時間軸?
瀧と三葉の入れ替わりは3年ずれていて、どちらも17歳です。もちろん二人は三歳差でしょう。
隕石が落ちたのは2013年10月4日。つまり…

2013年 三葉17歳、瀧14歳

2016年 三葉20歳(故人)、瀧17歳

2021年 三葉25歳、瀧22歳(就活生)


つまり…

_人人人人人人人人人人人_
> ラストシーンは未来 <
 ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^ ̄


⑤なんで電話しなかった?
普通入れ替わってお互い気づいたらまず連絡とらない?

 


以上です。

まあ色々矛盾というか気になる点はあるけど素晴らしい映画でした。
ブルーレイ絶対買う。

 

 

就活③ 終了

無事就活を終えました。

食品メーカー・研究職・専門性・規模・勤務地・待遇・社風

自分が希望していた条件群が限りなく合致した、素晴らしい会社に拾ってもらえたと思っています。


リアルの知り合いの人で僕の行き先が知りたい人は気軽に聞いてください。


さて、そもそもこのブログ(?)は備忘録的な意味合いで始めましたし
自分がどういう気持ちで取り組んだか、一回書いてまとめたいと思います。


~12月
志望業界:飲料、食品、国際貢献
第一志望:アサヒビール、味の素
備考:大手志向

東京の就活塾(無料)みたいなものに二ヶ月間、週一で通っていました。グループディスカッションと説明会が一緒になった感じ。
結構レベルの高いグループディスカッションができました。
ここまでの時期には「なんとなくどういう業界がいいか」目星がついてきました。その当時一番行きたかった会社はアサヒビールでした。

 

~2月
志望業界:食品、飲料、(BtoB)
第一志望:アサヒビール
備考:大手志向


各地で1dayインターンに行っていました。
個人的な色々な背景が原因で、「つくばにこのまま住み続けられる職場がいいかな~」なんて考えるようになりました。
そして、やっぱり食品メーカーに強く興味を持つようになりました。
ちなみに自身の専門が活きる種苗会社は募集が始まっていることを知らずノータッチ。若干後悔してました。


3月
志望業界:漢方、食品、飲料、(BtoB)
第一志望:ツムラ
備考:大手志向、健康への貢献

いよいよ解禁。
ほんとにこの時は説明会ばかり行ってました。一日2~4社くらい。
業界を縛らず見ていきました。完全に見なかったのはITとか建設とかくらいだと思う?
そしてこの時期に完全に第一志望を決心しました。植物の研究を通して漢方に関わりたいと思っていました。
ただ、「植物の研究」は自分にとってそれほど大事ではなく、ただの自分の持つツールでした。
OBOG訪問もこの時期からやってきました。

 

4月
志望業界:漢方、食品、飲料、(BtoB)
第一志望:ツムラ、味の素
備考:大手志向、健康への貢献

4月はずっとエントリーシート書いてました。書いていくうちにだんだん上手くなります。ずっと書いていたので、ある種のノイローゼでした。
この時期に一次募集の締切が終わった感じです。二次募集をやってる会社は後回しにしていました。(これが後に功を奏することになるとは…)
この時期からぼちぼち面接が始まるようになりましたが、最初の面接の日清食品は全く準備をしておらず、撃沈しました。
この頃になると書類通過の連絡がぼちぼちきました。書類通っただけだけどとても嬉しかった。

 

5月
志望業界:漢方、食品、飲料、(BtoB)
第一志望:ツムラ、味の素
備考:大手志向、健康への貢献
志望度が高かったビール会社に軒並み書類で落ちました。アサヒは特に行きたかっただけ、結構ショックでした。
とはいうものの、中小のBtoC食品と、大手食品の一つに最終面接で進めました。最終面接の打率は7割5分と聞いていたし、まあまあ企業研究もしていて特別ミスもなかったので受かるだろうと思っていました。

思っていました。これが悪夢の始まりでした。


6月
志望業界:漢方、食品、飲料、(BtoB)
第一志望:ツムラ、味の素→某○社
備考:大手志向、健康への貢献
5月の最終面接の結果が来ないまま、6月の面接解禁時期へ。この時点で選考が残っている会社は10社以下。正直不安でしたが「ま、なんとかなるやろ」と思っていました。が…
一週目終わった時点(一次、二次面接)でお祈りが殺到。二週目の終盤で残っていたのがツムラの一次面接結果待ちと、味の素の最終面接でした。
どっちかに受かれば逆に全部結果オーライじゃん、と思って企業研究も続け頑張りましたが…まさかの同じ日の夜にお祈りメールが…この時点で持ち駒ゼロ。最初からやり直しになりました。


大学生活で人前で泣いたのはたぶん初めてでした。まじ辛かった…
大学生活で一番つらかった。
自分はどこかで「人よりできる」「世界に行ける」「挑戦できる」人間だとなんとなく思ってた。それに叶うだけの経験も成果も持っていると思っていた。ニートみたいな思考回路だけど。
それが、このザマですわ。隠し持っていたプライドはズタズタでした。

ただ、6月頭から就活エージェントを活用して、保険で手を打っていたいくつかの会社の書類通過が届き始めました。これで息を吹き返し始め、色々な会社にエントリーしました。二次募集があるからと保留にしていた会社にも申込みました。そんな中某○社を第一志望にして、就活を再開しました。


7月頭
志望業界:漢方、食品、飲料、コンサル
第一志望:某○社、ヤクルト
備考:健康への貢献

ヤクルトはさっそく二次面接で落ちました。ヤクルトから内定もらってた友人から色々サポートしてもらったけれど、品質管理は自分の性に合わなかったんでしょう。
この頃からエージェントとの関係が強くなってきた気がする。
エージェントの紹介する会社のうち、だんだん大企業、大企業の子会社が増えてきました。数人の追加採用をサクッと終わらせたい会社が増えたんだと思います。
そんな中エージェントに紹介されていた製薬の最終面接に落ちました。ここで思ったことがいくつか
①エージェントに正確な志望順位を伝えないほうがいい。企業側にどうしても情報が漏れる。
②エージェントはやはり自分たちの利益が第一なんだろうなと。つまり、自分の紹介した会社に受からせる、進ませるのが一番なんだろうな。
ということに気づきました。

この時点で「最終面接落ちる病」をはっきり自覚した僕は、自分の弱みに気づきました。それは「意欲のアピールが下手であること」。冷静に、落ち着いてしまう自分にとって熱意を伝えるのは苦手なことにはっきり気づきました。
それを改善するための秘策を考えるようになりました。


7月中旬
志望業界:漢方、食品、飲料、コンサル
第一志望:某○社
備考:浪人して公務員かな…?

さて、ここまでで運良く某○社とコンサル、冷凍食品の会社が最終面接に残りました。7月頭から「熱意」を課題に就活をしていましたが、ここで「自分の発想や経験を、長くなってもいいから伝える」ようにしました。簡潔さに囚われていましたが、それをやめました。
そして、この時期から明確に面接が進むようになり、そしてついにコンサルから内々定の連絡をもらいました。

残るは某○社、第一志望に挑むのみ。
緊張はもう40社受けてきたので、ほとんどありませんでした。
自分のやりたい研究を用紙一枚にまとめました。「背景」「市場分析」「商品案」「研究ビジョン」の四枚のパワポを、二分でプレゼンしました。話して意欲が出ないなら、紙の形で意欲をアピールしようと、一週間かけて作りました。
その他に話した内容はこれまでの中でもかなりひどい出来でしたが、無事内々定の電話をもらいました。

 

 

終わって

翌週、署名とフィードバックのために会社に行きました。短い選考の時間ではありましたが、自分が評価してほしかった点を買ってもらったことがよくわかりましたし、意欲は一番あったと言われました。やはり紙の形でプレゼンしたのが大きかったと思います。

ただ、プレゼンを作る、というのは本当に入りたいと思いビジョンを描いていないと難しいですし、それだけ勉強が必要でした。他の最終面接に行ったすべての会社で紙を作ればよかった…とは思えません。というかたぶん作れません。第一志望だったツムラでも作れないです。

そういう意味でも、今の会社に入れて本当によかったと思っています。いまのところ。

 

正直、就活をなめてました。
「俺君はすぐ決まるよ」「いいとこ行けるよ」
そう言われてきました。

けれども僕は大した人間じゃありません。優秀な人は他にもたくさんいます。多分同期はみんな僕より優秀です。
けれど、色々な人と話して、自分の持ち味は「分析力」「行動力」、そしてそれらは「付き合いが長くならないと伝わらない」ということが分かりました。薄々感づいていたけれども。
だから、短い選考では自分の強みのカードを一番最初に出すようにしました。最終的な勝因はそこだと思っています。

 

そして、奢りを持ちつつも「自分は大したことないだろう」という相反する漠然とした不安から、12月前から行動していたのは、実は大きかったです。

色々な業界を見て「やっぱり健康か食に直接かかわりたい」と思いましたし、グローバルな仕事がしたいと思えるようになりました。

グループディスカッションは今の会社しか選考ではなかったので、実践を重ねた練習は皆無でしたが、やはり就活塾でGDは鍛えられてたのかうまくいきました。

長くやってきた分、色々なものを得られました。

 


という感じで、終わった今となっては
「いい自己分析の期間だった」
「いい会社に出会えて拾ってもらってよかった」
と思っています。


とりあえずこれからは研究一本で頑張るぞ!と言いたいのですが…

 

 

先生に頼んだプライマーは届かず、実験進まないし…
内定者懇親会では一次会でみんなの前でリバースするし…


前途多難です。。。